第13話サービス残業だらけの日々(食品工場②)

工場の資材係として、一番嫌だったことは10日に1回の棚卸。昼勤の全ての作業が終わってから工場内にある材料のすべての在庫数えなければならないため、帰宅が22時23時になることがザラであった。最初はきちんとタイムカードを付けていたため、残業時間は多くなった。

配属されて2カ月くらい経った頃に上司から「残業時間が多すぎる」という指摘が入った。「別に残業したくてしたいわけではない」という気持ちは大きかったが、やむなく従うことにした。

特に棚卸の日の残業が多かったので、そこの時間を短縮することにした。23時に終わろうが、タイムカードは定時の18時。ただ、会社全体がそういう雰囲気だったから「しょうがない」と途中までは割り切ってはいたが。

当時はブラック企業などの言葉がない時代だったが、今後は淘汰されていくことを切に願う。

第12話新社会人でサラリーマンの壁(食品工場①)

2005年に新卒で入社した食品会社。技術職として採用され、工場の資材を扱う部門に配属された。配属されたといっても、私以外は女性パート3人。責任は私に押しかかる。

今まで担当していた社員が女性パートと揉めたのが原因で、新しい社員を入れなければならないということで、新卒の私に白羽の矢が立ったらしい。仕事内容的には倉庫の材料を数えて、足らない材料を発注するという至ってシンプル。ただ、作る商品の数がコンビニの発注数によるところが大きく、株価のように予想して発注しなければならないのが難点だ。

最初の半年間ほどは気力がみなぎって仕事をしていたが、段々とこの仕事の意味のなさに気づいていく。「なぜパソコンでネットワークをつなげて自動発注できないのだろう」と考えることがしばしば。1年経つ頃には「この職場でずっといても意味がない」と転職を考えるようになった。

今となっては、その会社も吸収合併されたため、どちらにしろ長く居れなかったと思っている。

第11話鬱とコロナ禍

今回私の人生における何度目かの鬱は、コロナ禍が多分に影響していると感じる。初期にテレビで植え付けられた恐怖感もきっかけの一つだ。今まで鬱と縁遠かった人でも鬱っぽい人が増えて、街のメンタルクリニックでは予約が取れない所も続出している。

今回のコロナ禍における様々な後遺症は医師でもよく分からない所があり、とりあえずメンタルクリニックに回される患者も多いと聞く。とまどう人も多いだろう。

私も長年メンタルクリニックに通っているが、処方される薬も変わってくるため、医師と合う合わないかが大事で、いつも病院選びが難しいと感じている。だから、この混雑時に寄り添って患者を診ることができるのか疑問を抱いている。

早くコロナ禍が立ち去り、日常生活に戻ることを祈るばかりだ。

第10話万能感と絶望感

うつ病になる前にいつも感じるのが、万能感に満たされる時期があるということ。躁状態といってもいいのだが、明るいというより攻撃的になる。もしかしたらうつ病というより双極性障害なのかもしれない。

私はマイルール的なものが激しくて0、100思考に捉われがちになる。ニュートラルな所が無さ過ぎてしんどくなってしまう。

万能感といっても所詮は井の中の蛙。私の場合は万能感溢れるときに転職してしまうため、再び無能感にさいなまれて退職に追い込まれてしまう。

絶好調な時こそ謙虚に、絶不調な時に明るくできればいいのだが、それができない自分が腹立たしい。

第9話研究室復帰と就職活動

2003年4月に研究室に復帰した。教授を始めとして、周りの先輩や同級生はおおむね暖かく出迎えてくれた。最初の半年間は特にやる気がみなぎっていた。

10月位からは就職活動に入った。ちょうど就職氷河期の時代。エントリーシートは何枚書いたか分からない。面接にたどり着けたのは50社くらい。その中で唯一内定を得ることができた食品会社に技術職として入社することが決まった。

今思うと圧迫面接は当たり前で、それを乗り越える精神力が無ければ社会人として失格の烙印を押される時代。とにかく「正社員」の肩書が欲しいがため頑張っていた。

2004年4月に内定をいただいた後、就職活動の反動で再び「燃え尽き症候群」のような感じになってしまった。研究室に行きにくくなる日々。苦しさと申し訳なさで一杯だった。再び2004年から2005年の時期はメンタル悪化にさいなまれた一年であった。

第8話鬱とパチンコ依存

ギャンブルといえるもので大学生の頃からはまっていたのはパチンコ。当時は現金機からCR機へ移行していた頃で一番盛り上がっていた時代だとも思う。機種的には天才バカボンや海物語が大好きだった。

うつ病患者である私にとって快適だったのは黙って座りながら打っとけばいいところ。誰にも文句言われずタバコを吸いながらボケっとできるのは快適の一言。

タバコを吸わなくなって行くことがめっきり減ったが、たまに当たった時の快感を思い出すときはある。

最近はコロナの影響もあってパチンコの人気も下火となっている。うつ病患者にとって必要悪と思えるがどうだろう?

第7話元の研究室に出戻り

年が明けて2003年になり、正月に父親からなにかバイトをするように諭された。1週間後に母親が食品工場のバイトのチラシを持ってきてくれた。多分なにか動かないといけないという夫婦での話し合いがもたれたに違いないと今では思う。

近くから送迎バスが出ることもあり、「通勤時間が短くていいや」という軽い気持ちで面接し合格。その食品工場で働くこととなった。仕事は商品の箱詰め。パート従業員と一緒に仕事をし、特段嫌な気持ちもなく、かといって充実感もなく働いていた。

自分としては公務員試験対策の学校に4月から通う気満々であった。ある2月の深夜に思い切って父親にその旨を伝えたところ、「元の研究室に戻るしかないのではないか」という説得をされた。公務員に嫌悪感がある父親らしい対応であった。

私も一晩考えたが「逃げてはいけない」という気持ちになり、4月から再度研究室に戻る決心をした。今となれば自分の強い信念というのを持つべきでったと思う。